モータースポーツ史上最大の大惨事となったレース
1955年のルマン24はイギリスのジャガー、イタリアのフェラーリ、ドイツのメルセデス・ベンツの対決が注目されていました。
6月11日午後4時にルマン式スタートでレースが始まります。
前評判通り好スタートを切ったフェラーリ、ジャガーがトップを争い、出遅れましたがメルセデス・ベンツが3位につけるというレース展開でした。
しかし、午後6時28分事故が起こります。
ジャガーに乗るマイク・ホーソーンが周回遅れだったランス・マックリンを追い抜いた直後、ピットインのため減速しました。
追い抜かれたマックリンが走行ラインを乱したところ、進路を塞がれ変えようとした後続のピエール・ルヴェーのメルセデス・ベンツは乗り上げて宙を舞い、観客席のそばに落下し爆発炎上。
衝撃によって破損した部品が観客席を襲うという状況に加え、マシンが観客を次々となぎ倒し死者83名、負傷者180名という大惨事に見舞われます。
事故後もレースが行われる
現代では考えられませんが、この大惨事があった状況にもかかわらずレースは続行されました。
レース続行を決めた主催者によると、中止すると帰宅する観戦者によって道路が渋滞し、救急車が通れなくなるためというのが理由です。
レース後に行われた調査では大会主催者、ドライバーともに責任がないレーシングアクシデントという結論となりました。
サーキットの設備に問題があるということで、主催者である西部自動車クラブは改修工事を行っています。
大惨事の原因となったメルセデス・ベンツは残っていたマシンを走らせていましたが、最終的に棄権。メルセデス・ベンツはこの事故以外だと1999年にも宙を舞う事故を2度起こし、以降は参加を見送っています。
ジャガーはメルセデス・ベンツに棄権を促されますが拒否し、当時の大会新記録で優勝するという結果に。
1955年は他のモータースポーツでも事故が多発し、延期や中止となってしまいます。
この事故によって安全対策やマシンの性能抑制という意識改革をもたらすきっかけとなりました。