ルマン24参戦の歴史
マツダは日本メーカーとしては最も古く1970年代からルマン24に参戦していました。しかし、トラブルによって予選落ちや規定周回不足を経験。
その悔しさから81年から連続参戦し挑むことになりました。
1983年にファクトリーチーム「マツダスピード」となり、クラス優勝をするようになると1986年には総合優勝を意識するようになります。
1987年と1989年には総合7位を獲得し、総合優勝を狙える位置までのぼりつめましたが、1990年にレギュレーション変更があり、マツダの代名詞だったロータリーエンジンで参戦できなくなりました。
ロータリーエンジン最後の大会として挑みますが、2台ともにリタイアし、散々な結果に。
しかし、1991年秋、新規格のプロトカーが揃わないという事態となり、ロータリーエンジンの参加が認められます。
ラストチャンスとなったマツダは前年の787を進化させた787Bで参戦。
トヨタや日産といった他の日本メーカーが不参戦で、日本メーカーはマツダだけになります。
前年優勝のジャガーや強豪のメルセデス・ベンツを相手に安定した走りを見せました。当初、メルセデス・ベンツは首位でしたが、残り3時間を切ったところでトラブルが発生。
首位だったメルセデス・ベンツ1号車がトラブルによりリタイアします。そして、マツダ787Bの55号車がトップに。
しっかりとレースを進めたマツダが日本メーカーとして初めて総合優勝を果たします。
その後、業績悪化に伴い1992年を最後に撤退します。
3人いるはずのドライバーが…
表彰式の写真には優勝ドライバーが2人しか映っていません。アンカードライバーだったハーバートは、疲労による脱水症状で登壇できませんでした。
しかし、ルマン24総合優勝から20年後の2011年。ハーバートがフルレストアされたマツダ787Bでコースを走るというデモンストレーションがあり、20年遅れで表彰台に上がるという演出がありました。