70年の沈黙を破った再挑戦のシナリオ
ル・マン24時間レースの黎明期、1920年代から30年代にかけて、英国の自動車メーカーであるベントレーは圧倒的な強さを誇っていました。「ベントレーボーイズ」と呼ばれる若きドライバーたちは、スピードと信頼性を武器に、1924年から1930年にかけて5度の総合優勝を飾ったのです。
しかしその後、ベントレーはレース活動から長らく遠ざかることになります。自社の経営体制の変化やレース界全体の技術革新により、同社はしばらくの間、市販車開発に注力する時代が続いていました。そんなベントレーが再びル・マンの地を踏むことになるのは、2001年。実に70年ぶりの挑戦でした。
そして、この再挑戦の象徴として開発されたのが「スピード8」です。かつての栄光を取り戻すべく誕生したこのマシンは、ベントレーらしい重厚さを残しつつも、現代の耐久レースに適したテクノロジーを注ぎ込んだ挑戦的な一台でした。
スピード8に込められた最新技術と伝統の融合
スピード8の車体設計には、当時アウディのル・マン活動を主導していたグループの支援がありました。アウディR8のコンポーネントをベースにしながら、ベントレー専用のボディワークやセッティングが施されています。エンジンにはアウディと共通の4.0L V8ツインターボが搭載され、レース仕様にチューンされたその出力は600馬力以上を誇っていました。
空力面でも徹底的な最適化が図られました。2001年に登場した初代スピード8はオープントップ型でしたが、後にクローズドコックピットへと進化。この変更はル・マン特有の高速区間での空気抵抗を抑えつつ、ドライバーの疲労軽減にも貢献するものでした。こうした改善の積み重ねが、着実にマシンの完成度を高めていきました。
また、伝統を大切にするベントレーらしく、カラーリングにはブリティッシュ・レーシング・グリーンが採用され、ボディサイドにはクラシックな「B」のエンブレムが輝いていました。新技術と伝統の融合、それこそがスピード8の持つ最大の魅力だったのです。
2003年、ついに掴んだ悲願の総合優勝
スピード8は、2001年のル・マン初年度にクラス3位で完走するという手応えを得て、以後2年間にわたって着実に改良が進められました。とくに2003年は、完全な勝利を狙って投入された年であり、2台体制による万全の布陣が敷かれました。この年はアウディのワークス不在もあり、スピード8にとって絶好のチャンスでもありました。
レースは、スピード8が序盤から安定したペースを築き、周囲のライバルに対してリードを保つ形で展開しました。マシンの信頼性、燃費の効率、そしてドライバー陣のミスのない走りが組み合わさり、24時間後、ゼッケン7のスピード8が総合優勝を果たします。ドライバーはトム・クリステンセン、ロルフ・ベイゼリン、ガイ・スミスという実力者揃いの布陣でした。
この勝利により、ベントレーは1930年以来となる通算6度目のル・マン優勝を達成。70年という長いブランクを経て、再び頂点に立ったその姿は、多くのファンの記憶に残るドラマとなりました。そして、スピード8はレース活動を終えると同時に、ベントレーの新たなブランドイメージの礎となり、後の市販モデルにも影響を与えていくことになります。