ピエール・ルヴェーはレーシングドライバーとしてはデビューするのはかなり遅く32歳の1937年にデビューします。それまではアイスホッケーやテニス、ヨット競技で活躍してきました。
現代は幼少頃から始めることが一般的ですが、当時は珍しいことではなかったそうです。
デビュー後はタルボ製のマシンで高い評価を得て、その地位を確立していきます。
1950年にはF1ドライバーとしてもデビューし、1951年には性能の高いとはいえないタルボ製のマシンで7位という結果を残しました。
念願のルマン24
ピエール・ルヴェーがルマン24に憧れを抱いていたのは初開催された1925年のルマン24を観戦したことがきっかけです。
タルボはセカンドドライバーの枠が空いていたため、ピエール・ルヴェーがその座を獲得します。
しかし、マシントラブルによってマシンに乗ることなく初出場したレースは幕を降ろすのでした。
翌年も再びタルボから参戦し、レースに出場できましたが、リタイアによって完走はできず。
次こそはと思っていたでしょうが、第二次世界大戦が始まり10年間の休止に入ってしまいます。
たった一人でルマン24を走り切ろうとした男
ルマン24が再開してから2年が経過し、ピエール・ルヴェーは1951年のルマン24に参加。12年ぶりとなります。
タルボのワークスドライバーとして45歳ながら完走に貢献し、4位という結果を残しました。
翌年もタルボのワークスドライバーとして打診を受けましたが、意見の違いにより参加を拒否。
自分でタルボのマシンを買取、独自のチューニングを施し参加します。
このマシンで参加したピエール・ルヴェーは一人きりで走り切ろうとしたのです。チームメイトはもちろんいましたが、交代を拒否。
23時間までこの状態が続き、首位を独走します。しかし、残り1時間15分というところでシフトダウンのミスが発生。マシントラブルによってリタイアとなってしまうのでした。
大変危険ということからルマン24では単独での走行を禁止する新しいレギュレーションができることになります。